昨年12月に前進座公演ー出前芝居「くず~い 屑屋でござい」を見ました。
これは元々落語の「井戸茶碗」を芝居にアレンジした江戸情話で、楽しくもためになりました。
江戸時代、江戸(東京)はごみのないきれいな町でした。
それはゴミもすべて捨てずにリサイクルするエコな生活が根付いていたからです。
そんなもったいない文化を検証すべく、学校向けに企画された芝居が評判よく、大人にも見てもらえるように全国公演となったわけです。
公演の中でも物売りの掛け声と共に庶民の生き生きとした暮らしぶりが垣間見えて楽しいものでした。
やきもの好きとして、公演のパンフレットに載っていた「江戸のリサイクル」職人づくしの絵の中の「焼つぎ屋」に目が止まりました。エコな江戸にはこういった捨てられるものをリサイクルする多くの職人が活躍していたのです。
■ 焼つぎ屋 (焼継師) 焼つぎ屋(焼継師)とは、割れたせともの(磁器)を焼きつぎという方法で簡単に直してくれる修理屋さんのことです。
江戸時代後期の三都の風俗や行事などを記録した百科事典「守貞漫稿」では「寛政年間(18世紀末)に京都で流行り始めた焼つぎ屋が文化年間(19世紀初期)には江戸でも大繁盛して、「新しい焼き物が売れずに瀬戸物屋が困った」ということを伝えています。
それまでは割れたせとものは漆で直すのが一般的でしたが、焼つぎは色も目立たず、値も安く、職人が回って、手軽に直してくれたのでまたたく間に全国に広がった。
九州陶磁文化館の大橋康二先生によれば、江戸後期から末期の全国の遺構から焼つぎの出土がかなり見られるそうで、江戸後期には焼つぎ修理は相当普及していたことがしのばれる。
しかし、明治になるとせとものは瀬戸や美濃などでも大量生産されて値段も下がるので、焼つぎの出土もなくなり、焼つぎ修理は急速に衰退したようだ。
公演パンフには焼つぎ屋は「割れた瀬戸物茶碗などを再生する。初期は漆などを使ったが、のち白玉粉を糊で練った接着剤で焼き継いだ」と説明しています。↓
白玉粉の説明があいまいで、誤解を受けそうなので検証しましょう。
ここでいう白玉粉というのは釉薬にも使われている鉛ガラスの粉末です。
これを膠などと混ぜて割れたせとものの接合面に盛り上げて二度窯やコンロ・七輪などの低火度の熱源で焼いて、ガラスを融かして接着させる修理技術です。
通称ー白玉粉はあくまでもガラス素地のことで、食用の白玉粉ではありません。
焼継材料を作る時の素材が白玉粉のように見えたための名称でしょう。それを粉砕したものがここでいう白玉粉です。
下、我が家に残された古い茶碗は中国製の茶碗「大清嘉慶年製銘色絵粉彩茶碗」(1796~1820)を写した江戸後期(19世紀初期)の伊万里焼色絵茶碗と思われる。
大きく割れて、焼つぎで直されている。碗の外側に白く走る筋が焼き継ぎの跡、中も色絵で継ぎ跡がシミになっている。高台の畳付きが幅広いのも当時の清朝磁器の影響を感じさせる。最近、高齢の母が一汁一菜の簡単な朝食に似つかわしくない?色絵の茶碗を使ってるのを見て驚きました。(上の写真)
その古い茶碗にもくっきりと焼つぎの跡があったのです。
焼つぎは沢山見てきましたが、我が家にもあったとはうかつでした(笑)
聞くところによれば、我が家で大切に使われてきたものだそうで、明治生まれの亡父の話として、昔焼つぎ屋さんが時々回って来て、自宅で直してもらったものだという。
母に再度、確認を入れると、回ってきた職人さんが七輪のようなもので火を起こし、継いで直していったのを父が見たとの記憶でした。父の若い頃の思い出らしいので大正でしょうか?田舎では遅くまでこういった職人が回って活躍していたのでしょう。
下、もう一つの焼つぎの例(古伊万里)右: 染付け福良雀形手塩皿 (延宝様式 1670~1680)
左: 型紙摺変形手塩皿 (元禄様式 1700~1740)
伊万里焼は17世紀中頃の技術革新を受けて、17世紀後半に糸切り細工成形法を始める。
おてしょとか手塩皿と呼ばれた小型皿や小皿に多く、轆轤を使わず型で成形して造る為、自由な形の変形皿が多くなりました。高台も型つくりの張り付け高台です。
調味やおかずを乗せる小皿として江戸期を通して国内向けに活躍しました。
■ 手塩皿(てしおさら・おてしょ)手塩皿とは小皿より小さな手塩などの調味料を盛る皿、又香の物を盛る小さく浅い皿のことをいう。
手塩は中世から調味料の基本として一番手近に置かれた。
近世肥前磁器で小皿が5寸程、手塩皿が3寸位で、肥前で手塩皿が作り始められた1630~1640年より小皿とは使い分けられたと考えられる、少し高級な器だったようだ。
左、長;8.5cm 右、長10.5cm
下、左の型紙摺りの変形皿の左端が欠けて焼つぎで直してある。裏側白っぽい筋がそれ。右の雀形皿には金直しがされていますがこれは近年の修理下、手塩皿の初期の参考品(初期伊万里)、径 8.2cm 1630~1640年焼継ぎ屋の最後の姿は
明治28年7月刊の雑誌「小国民」7月号の中に載っていましたのでご覧下さい。
「市下 生業合(なりわいあわせ)」という東京市中の行商職人のカタログのようなシリーズの中に「焼つぎ屋」も「鋳かけ屋」と一緒に紹介されていました。
この頃まではまだがんばっていたのでしょう。
◎市下 生業合 (37) 焼つぎ屋
土瓶茶碗皿鉢の破れたるをつぐを生業にて、成るべく、夫婦喧嘩と乱暴子供の多きを喜ぶ。
手易き仕事も、値高き器物には、つぎ賃を高く取る癖あり。
「焼つぎ~、焼つぎ~」焼つぎ屋は川柳にもうたわれるほど人気だったようで・・次のようなものが有名です。
「焼つぎ屋、夫婦喧嘩の門に立ち」
「番町の古井戸で呼ぶ焼つぎ屋」・・・・なぁるほ
焼つぎの痕跡として、地方では特に注文主の名前をせとものの高台裏(裏側)に書き記すことがあります。
特に接着に使う透明なガラス素材や赤い顔料を使って名前や符号を入れることが多いようです。
その例は身近にもありました。
下、新潟日報5月14日付朝刊、新潟大学旭町学術資料展示館「新潟・牡丹山諏訪神社古墳 発掘成果展示」日報に牡丹山諏訪神社古墳の発掘成果が
新潟大学旭町学術資料展示館で展示公開されていることが報じられています。
本県で始めての円筒埴輪の破片や土製の勾玉、管玉などの出土品を展示しています。
それらに混じって、第二トレンチから出土した江戸後期のやきもの(茶碗の破片ー古伊万里)に焼きつぎの資料がありました。茶碗の高台の中に「牡丹山〇〇」と焼つぎ直しの注文主の住所名前が赤で入った遺物で興味深いものです。小さなコンロを担いで全国を回った焼つぎ職人の仕事でしょう。
是非、貴重な遺産と一緒にこの名前入り焼つぎをご覧下さい。
主に19世紀に普及した「焼き継ぎ」というせともの修理は意外と身近に残っているものです。
皆さんも古い器の直しには注意してみて下さい。
もったいない文化にはいろんな形があることが見えてきます。
■ 哀惜(愛惜)の焼きつぎ長年のお付き合いで大変勉強をさせて頂いてきた、
長野県小布施町の美術館「古陶磁コレクション了庵」の中原了さんが亡くなられた。
連休前に奥様からお電話を頂き、絶句しました。
昨年暮れにお元気そうなお声で「来年は久しぶりにお会いしましょう」と、約束のお話が弾んだばかりでした。ちょうど美術館を始めて20年という節目の年でした。
お近づきになってから、十数年来幾度となくお邪魔して、一緒に企画展も何度かお世話して頂きました。
先の見えない昨今、個人で美術館の屋台を背負うのは大変な覚悟が必要だろうと、中原さんの生き様を通してその熱い思いを垣間見てきました。
今、地元でいささかの活動が出来るのも、中原さんの教えと導きがあったればこそと、感謝してきました。
お会いするといつも熱く語り合ったことが昨日のように思われてなりません、野武士のような風貌と矜持はいつも魅力的で挑戦的でした。
こんなに早くお別れするとは思いもよりませんでしたが、中原さんからは私に「まだまだ・・」と駄目だしが出そうです・・。
中原さんのやきものへの熱い思いとやさしい関わりを胸に、私ももう少し歩んでみたいと思います。
幸い中原さんを支えた奥様が、変わらず後を引き継いでいかれるということで、一安心です。
ちょうど美術館の方で、私がこのところ関心があって纏めていた「焼きつぎ」の大変よい見本を奥様から頂き感激しています。中原さんと私がまた最後に中原さん旧蔵の「焼きつぎ」でつながったと思うと、なにか因縁じみた幸せを感じました。
以下に、感謝をこめて紹介させていただきますー合掌
下、古伊万里染付五弁花、牡丹唐草文茶碗、宝暦様式 1740
~70年下、同 高台(裏)に18世紀に現れる染付・富貴長春銘と修理の焼つぎ跡の左に一字、「東」の焼つぎによる書き入れ名下、同 見込み(上から中を)焼継ぎ直し跡が横切る。
端正な染付五弁花文と口縁の四つ割花文で、18世紀後半になると五弁花文もくずれてくるので少し古いタイプかもしれない。大ぶりの茶碗の高台裏に染付で富貴長春の銘と隣に焼きつぎ透明釉で「東」の直しの注文主の名(焼つぎ屋が記した)
綺麗な染付五弁花文と口縁内側に四ッ割り花文、大きく真っ二つに割れて焼きつぎ修理がなされている。
下、古伊万里染付環状松竹梅文輪花深皿、宝暦様式 1740~70年なます皿と呼ばれる上手の深皿、裏染付なし、大きく割れを焼きつぎで修理してある。
蛇の目釉ハギ凹型高台
器の高台、畳み付を施釉するためと高台がへたらないように、窯に入れる時に高台のすぐ内側の釉薬を蛇の目状に剥ぎ取って、チャツと呼ばれる小皿状の窯道具を付けて焼く方法。
高台の中の中央部が凹型に丸くへこんでいる。(窯印の部分)
18世紀後期から普及した窯詰法。 高級食器を焼いた樋口窯製。
裏に赤字で修理注文主の屋号が記されている。(焼つぎ屋が記した)
下、上から見込みを覗く、焼きつぎで大きな直しあり下、同 裏側(蛇の目釉ハギ凹型高台) 高台の内側の釉剥ぎの部分に赤字で修理注文主の屋号が記されている