12月13日(土)、旧齋藤家別邸では恒例の「夕暮れトーク」郷土史講座の今年最後の講演会が開かれました。
(講師:旧齋藤家別邸、横木剛さん)
今年のシメのお題は「西大畑かいわい」、旧齋藤家別邸を含めた大畑と呼ばれる地域の成り立ちや変遷、住人など、多岐にわたる面白い発見や蘊蓄が披露されました。
東西南北、中とあった大畑の街中でも西大畑だけが広大なエリアになっていて、明治以降人が集まり、商売が始まり、地形(砂丘地)を生かした町造りが出来上がっていく様子がよくわかりました。
古くはこの辺は寄居白山外新田と呼ばれ、この地を開墾したのは小田平十郎(この辺一帯の名主)でした。
通称「浜」と呼ばれた新潟町とは一線を画した地域でしたが、海にも近いため西大畑は別荘地(別宅)としても開発されてきました。
■ 続ー 坪井良作の活版印刷所の謎
明治初期、県の用掛をしていた坪井良作は明治5年2月に活版印刷で新潟で初めての
新聞「北湊新聞」を発刊、その後「新潟隔日新聞」「新潟毎日新聞」(明治6~8年)に発展しました。
新潟新聞、大正7年12月の「昔の活版屋」という回想記事で、市内の古い活版印刷所であった高橋鋭二氏が
「坪井活版所の場所は今、齋藤さんが別荘を作られた、以前の島清の処がそれで、前の方にあった二階建の家が当時、印刷所として建てたものであったということだ・・・」と先代の聞き書きをしています。
又明治41年の風間正太郎の「新潟商工史」では「本地における活版業は明治三年医師坪井良斎の男、良策が小一区九番組寄居第629番地(今の島清はその跡なり)に於いて開始したるを・・・」とあります。
坪井は印刷所を明治6年に西堀の本覚寺に間借りして新潟隔日新聞を発行し、明治7年7月には小田稲荷下・寄居629番地に移転したことが新聞奥付けに見えます。
よほど辺鄙なところであったことも書き添えていますので、回りには何もなかったようなところだったのでしょう。
しかし、島清の場所(旧齋藤家別邸)の地番と寄居629番地の印刷所の地番が一致せず謎となっていました。
「再び西大畑「旧齋藤家別邸」のルーツについてー 寄居六百廿九番地の謎」
下、新潟隔日新聞 第40号、明治7年3月3日号、この号で西堀本覚寺から寄居の小田稲荷社下へ転居、住所が変わってきます。
小一区寄居小田稲荷社下 本局 坪井活版社
下、新潟隔日新聞、第91号、 明治7年6月29日号ーこの号から住所番号が記されてきます。
小一区九番組寄居第六百廿九番地 本局 坪井活版社
最近、明治34年に新潟で開催された産業博覧会
「新潟縣主催一府十一縣聯合共進会」の案内ガイドブックの中に「来馴亭(きなれてい)」という温泉場?の広告が見つかりました。
場所が神宮の隣にある「小田稲荷」の隣の丘陵地です。
場所がら、海水浴や小田稲荷のお休み処として紹介されています。
温泉があり、料理も出したようです。
「きなれ、よりなれ・・・」と云った新潟弁の方言を屋号にしたユニークな店です。
名前の存在は坂口安吾の「吹雪物語」(昭和13年)の中で「その南方は異人池、東は天主教会堂、北はキナレ亭の廃屋の崖にとざされ・・・」という記述に遺されています。
すでに昭和初期に廃屋となったキナレ亭がいかなるものかは分かりませんでした。
今回の発見の広告には来馴亭の全体図(鳥瞰図)が載っていて、望楼の大きな櫓もあり、かなり規模の大きなお休み処であったことが判明しました。
これで、「昔の活版屋」や「新潟商工史」にある「坪井活版所は島清のところ・・・」という記載が「来馴亭」の記憶違いであった可能性が大きくなりました。
地番の寄居629番地は小田稲荷下で来馴亭のあったところです。
位置も地番も一致します、西大畑には行形亭、島清、来馴亭と三軒の料理屋があった頃が分かりました。
これで坪井活版所寄居第629番地の謎も解けかかってきました。
来馴亭の創業は広告にある明治30年代前半でしょうが、廃業は不明です。
その廃墟が暫く放置されたようだ。
御林と呼ばれた砂丘地が町の発展と共に新しい産業や住宅地として広がっていくありさまは正に現在の町並みに繋がっているもので興味深いですね。
町探しの旅はこういった歴史物語を想いうかべながら歩くと街の風景が又違ってみえて面白いですね。
横木さん1年御苦労さま、来年も夕暮れトーク期待してます。
下、聯合共進会案内、広告「来馴亭」 明治34年発行、「西大畑町 御林稲荷のおやすみに 席がし屋 来馴亭」
絵の右下に小田稲荷(御林稲荷)とその参道が見える
共進会案内のガイドブックの本文の解説には来(気)馴亭は料理屋のジャンルにはなく温泉場として載っています。
下、現在旧齋藤家別邸では二つの企画展が併催されてます。
「書画展 新潟湊の繁栄とその文化」
12月23日まで、
江戸時代~明治 北前船の寄港地として栄えた湊新潟の様子を絵画・書・資料で紹介します。
新潟湊を訪れた全国の文人墨客との交流が見れます。
「鶴友会所蔵 江戸時代・中国明時代の器展」~21日まで
古くから日本の食文化を支えてきた「茶会席」に用いられた日本と中国の器の逸品が見られます。
これだけのこだわりの器はなかなか国内でも見れません、やきもの好きには必見の企画です。素晴らしい!
市内西区内野、鶴の友・鶴友会博物館コレクションです。
日本:初期伊万里・古伊万里・古九谷・乾山・古清水・古唐津・会津本郷砕石手など
中国:古染・天啓赤絵・南京赤絵・呉須赤絵など
見どころある逸品のオンパレードで見事の一言です。