
中央区西大畑、旧齋藤家別邸で
「レトロなうちわと扇風機展」が開催されました。
6/25~7/21■ 日本の夏を彩るゆらぎの風 「うちわ」古くから日本では夏の涼として団扇が活躍してきました。
一般に普及し始めたのは江戸時代でしょうが、その彩りを高めたのは江戸後期の浮世絵の影響でした。
団扇に描かれたのは流行の美人や役者絵でした。
それらが団扇絵と呼ばれ流行をみました。
やがて明治になると団扇絵は引札・チラシと同様に広告媒体として発展します。
最初は木版であった団扇絵はやがて印刷技術の発達と共に石版印刷となり大量生産されました。
見本帳が出来、通販で簡単に広告団扇が流通するようになったのです。
団扇や見本帳の絵を見ると江戸時代から現代まで、団扇絵の代表は美人画です。
戦後は歌手や映画スターまで、その時代の美人の変遷を見るような楽しさがあります。
団扇本体は昨今すっかり骨がプラスチックに変わってしまいました。
日本は世界に冠たる竹文化の国です。
竹と和紙の織りなす、しなやかさは日本的なゆらぎの風を送るには必須の材質でした。
時代が変わり竹の団扇は一部でしか見れなくなりつつあります。
風にも質があることを古い団扇は教えてくれます。
本物がどんどん消えていくのはさびしいことです。
■ 扇風機 (手動・ゼンマイ・電気)扇風機は初期(明治)には電気扇と呼ばれたように、電気モーター(直流から交流へ)で羽根を回し風を送る機械です。
しかし古くから同じ原理で手廻しの扇風機が作られていました。初期のものは動力は手動で木製歯車を使ったものでした。
その後明治には蓄音器のゼンマイ(当時このゼンマイはモーターと呼ばれていました)を利用した手廻し扇風機も現れました。
電気扇は1893年米国・ウエスティングハウス社が作り、GEなどの製品も輸入されるようになると日本でも大正期に川北電気(KDK)や芝浦製作所(SEW)が量産を始めます。
これらの戦前の電気扇は真黒い鋳物の塊のような重さと風貌で、金属羽根の風切り音も存在感のあるものでした。
今回は
越後大郷からくり館の日根之和さんに古い糸巻き車を改造した手廻し扇風機を復元して頂きました。
正にからくり師・日根さんの真骨頂の傑作「からくり団扇」です。
また、明治のゼンマイ仕掛けの扇風機や大正から昭和初期の電気扇など、珍しく、懐かしくも心地よい夏の風の世界が展開されています。実際に手にとってご覧ください。
下、右が日根さん復元の手廻し扇風機( 実際に廻してみれます)、左が明治のゼンマイ駆動の手廻し扇風機
下、右がGEの小型電気扇、左が芝浦製作所(SEW)の電気扇、戦前
下、大正11年の芝浦製作所(SEW)の電気扇のカタログ
下、芝浦製作所(SEW)の扇風機と新潟美人絵はがき、大正 (新潟・朝倉写真館製)
日本での特許制度は、専売特許条例が施行された1885年(明治18年)7月1日から始まった。
そんな特許庁の資料から関連製品を拾ってみました。
特許が施行され間もなく・・第12号として登録された扇風機がありました。
「特許第12号 納涼団扇車」 名前がいいですね~?どの位売れたか分かりませんが・・・日本人の遊び心が垣間見れる発明です。

下、「自動団扇」 明治35年11月20日 特許登録 ゼンマイ駆動の自動うちわです。


下、自動扇風機 明治42年10月9日特許登録 手廻しのゼンマイ仕掛けの扇風機です。飛行機のプロペラみたいですね。


旧齋藤家別邸で 「レトロな団扇と扇風機展」 好評開催中です!
「レトロな団扇と扇風機展」で日根之和さんが別の手廻し扇風機を作ってくれました!https://hikarataro.exblog.jp/27040350/