新潟の春の訪れを告げる
ひな人形町めぐり がスタートしました。
新潟日報の今日の朝刊の「越佐と北前船ー足跡を訪ねて」の特集でもひな人形が取り上げられました。
「北前船の贈りもの」と言われるように江戸期はひな人形も雅な京の文化の伝播でした。
ひな人形からも北前船の香りを感じていただきたいと思います。
先日の土人形もこういった文化の中から全国に普及、発展した郷土文化です。
■ ひな人形の歴史
祓いの行事の対照物であった「形代」が「ひとがた」となり、幼児のお守りとしての天児、這子から男雛・女雛の源流となって、江戸初期に立雛形式が成立しました。
戦乱が収まり江戸の寛永文化が開花するとひな祭りはその中で上巳の節句として催されるようになり、それが公家や大名へそして庶民へと広がっていったと思われます。
「7寸の屏風やけふの内裏雛」という句が延宝4年・1676年版「俳諧当世男」に出てきますので、寛文から延宝にかけて京の町屋から小型の座雛が現れたことがうかがえます。
その後、時代とともに五節句が年々盛大に行われるようになったことから、それを彩る人形たちが主役となっていきました。中でも上巳の節句、端午の節句、七夕の節句の三大節句は色々な人形を生み日本の人形文化を大きく育てていきました。