上、ギャラリー蔵織の前の池の睡蓮と金魚夏まつりと屋台の金魚は夏の風物詩です。
子供のころには金魚屋さんが天秤をかついで「きんぎょ~ぇ、きんぎょ~!」と売り歩いていた思い出もあります・・・がもはや幻の風景です・・?
白山まつりでもあれだけ多くの金魚屋さんの屋台もめっきり最近は少なくなりました。
しかし、ギャラリー蔵織の前の池にも多くのひぶなが元気です。
というわけで、今回の和ガラス展にも金魚鉢を展示しました。
「金魚売り」は下のページにもあります
変わらぬ風景―31 「初夏の風物詩ー金魚売りと金魚鉢・金魚玉」下、義山金魚入 明治六年 、高35cm義山(ぎやまん)きんぎょ入れ、明治6年と書かれた収納箱に入った金魚鉢です。
本格的な大形の吹きガラスやソーダガラスであることなどから輸入された舶来ガラスでしょう。
舶来の器を金魚鉢に流用したと考えられます。
■ 金魚と金魚玉金魚は江戸時代には人気者でした。
当時、金魚は大きな金魚鉢のようなガラスの器を造ることが出来なかったので、水盤のような瀬戸物の器の中に入れて上見(うわみ)といって、常に上から鑑賞していました。
中国で誕生して以来、金魚は「上見」にふさわさしい形に改良されてきたのです。
買った金魚を持ち帰るために
金魚玉という風鈴を逆さまにしたような小さなガラス器が江戸時代誕生しました。
上からも、下からも見えるガラスの器は風鈴のように軒に掛けられて、金魚もびっくりしたことでしょう。
その様子は肉筆絵や錦絵に残っています。
いちばん有名なものが
喜多川歌麿の美人錦絵 「金魚玉を持つ女」(1787年)です。

江戸で人気の金魚玉は錦絵のように口がすぼんだ形と丸く口が開いた形がありました。
その中に絵にあるように口に細い棒をひっかけて紐を吊るして下げたようです。
風鈴と共に軒に下げられた金魚玉は粋な涼を呼んだものでしょう。
江戸末期のガラス・ギヤマン問屋「加賀屋」の引札(カタログ)にも金魚玉はすでに載っています。
又変形の金魚鉢のような器も見えます
(水燭)

下、明治初期の加賀屋引札より 加賀屋・熊崎安太郎


金魚玉はずいぶん古いもののように思われていますが、戦後ビニール袋が普及するまで、持ち帰りの器として(戦後まで)活躍していました。

ギャラリー蔵織の金魚玉の展示で盛り上がり、Sさんのなじみの白山まつりの金魚屋さんに聞いてもらいました。倉庫を探してもらったら、まだ戦後まで使っていた金魚玉の在庫が残っていて、頂くことができたのには驚きで感激でした。
上の金魚玉コレクションの左上の小型の玉がそれです。
これらは隣の紐付きのように、編んだ紐の中に金魚玉を入れて下げて持ち帰ります。
写真下段の真ん中のように丸の四隅をしぼって、紐のかかりをよくした優れものの玉もあります。
大きさは直径10cm以内の小型のものがほとんどです。金魚玉は裸で残っているとなんの器かわからないでしょう?あえて類似品を探すと、お札などを数える時に指を濡らす「海綿入れ」を少し大きくしたような形です。
下、明治の石版画より「きんぎょ」・・金魚玉に入った金魚の様子がよく分かります。江戸から戦後まで金魚玉が長く使われ、金魚鉢の代わりもしていたことが分かります。
明治24年9月22日出版、画作兼印刷発行人 日本橋区馬喰町3丁目4番地渡邉忠久
■ 金魚鉢ある程度の大きさを持ったガラス製の金魚鉢は明治以降の強度のあるソーダガラスが造られるようになってからの産物です。
一般家庭に普及するのは大正から昭和初期の事でしょう。
戦前の地元「柏崎硝子のカタローグ」にも金魚鉢が載っていますのでご覧下さい。

一般になじみの深いのは下段の真ん中の青い淵のフリルの付いた金魚鉢で「花形」、文字通り金魚鉢の定番になりました。
ギャラリー蔵織には旧庄内屋で使っていた金魚鉢が遺されていて、写真の右上、猫足の楕円型がそれに当たります。産地も同じものではないかと思われるほど似ていますね。
下、猫足付タライ形 (ギャラリー蔵織蔵)
下は某旧家の青淵猫足付タライ形です。坪庭のししおどしや野草が上品で涼やかです。

下はブリキの胴をガラスではさんで絵付けをした釣り形金魚鉢(戦前)お洒落な珍品です。
下、同様な金魚鉢の広告 「室内水族館」、明治34年6月11日付、地元紙・「東北日報」より通販で有名な大阪の檜尾商店の新聞広告、釣用1円20銭
この時代から、釣用、置用・・色んなスタイルが販売されていたことが分かる。意外と古い。
変わらぬ風景―31・ 初夏の風物詩ー金魚売りと金魚鉢・金魚玉「和ガラス展」-⑤ 「硝子器 カタローグ」ー柏崎硝子製造所より、昭和初期