上、美知の枝折ー明治10年、木版、 県立図書館蔵西大畑、旧斎藤家別邸の斎藤家の歴史があきらかになってくると共に、旧斎藤家別邸のルーツがおぼろげながら浮かんできました。
「斎藤家が新潟に残したものー新潟ハイカラ文庫」県立文書館の「地図・絵図が語る越後・佐渡の歴史」展が開催中でその中から「新潟沿革図」(明治13年)ー展示中、と県立図書館からは「美知の枝折」(明治10年)を拝見してきました。
その中に旧斎藤家別邸のルーツに絡む貴重な資料がありました。
「美知の枝折」は明治10年に発行された木版の観光案内地図で裏に地図、表に官公庁から寺社までの案内文が載っています。
そこの西大畑の「稲荷神社」の説明に 「俗に御林イナリといふ 料理屋ニ軒あり いきなり屋O堀田屋と云・・いづれも庭内美をつくせり」 とあります。
「堀田屋」がその後の「島清館」のことです。「島清館」は明治26年の大火で西堀前通8番町にあった料理屋「島清楼」が堀田楼の跡へ移転してきたものです。
地図にある稲荷神社の右となり、横長四角のニ軒が、いきなり屋(右)と「堀田屋」(左)という料亭であることがわかります。
両方ともすでに庭が売りものであったことも知れて興味深い。
下、新潟沿革図ー明治13年、銅版、県立文書館蔵下、西大バタ町 、左 「ホリタ」 右 「イキナリヤ」 料理屋
明治初期の堀田屋、ホリタ?は堀田楼のことと思われます。堀田屋(堀田楼) いきなりやの隣に料理屋開業、時期不明、明治初期か?
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明治10年美知の枝折、明治13年新潟沿革図に載っている
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島清館 移転開業 明治26年の大火後、堀田楼の跡に移転 (その前は西堀前通8番町、島清楼)
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島村医院 移転開業 大正元年12月、軍医として活躍した島村信司医師が島清館跡に移転開業(その前は南浜通ニ番町に明治40年に開業)
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大正5年まで雑誌「交友」に島村医院の広告が確認できる (その後西堀3に移転)
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斉藤喜十郎家が土地を取得、別荘として造園改築ー大正6,7年ころ
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昭和20年、戦後進駐軍に接収
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昭和29年 加賀田組、加賀田家が邸宅を取得
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平成21年、市民の保存運動の請願を受けて市が邸宅を購入
下、西堀前通8番町の頃の「島清楼」-北越商工便覧より