7月16日、クロスパルで
新潟郷土史研究会の7月例会の講演会に参加させてもらいました。
テーマは
「映像でつづる関屋の今むかし」~新潟電鉄物語~と題して、平成11年全線廃止まで旧県庁前駅(後の白山前駅)から燕までを走っていた新潟交通の通称「電鉄」のてっちゃんネタでした。(
講師・関屋映像研究会 高橋邦比古氏)
私は旧県庁前で育ち、亡父の実家が西蒲原であったため電鉄には少なからず縁があり、興味津々で拝聴しました。父から聞いた電鉄以前の中ノ口川の川汽船(河川蒸気船)の話や三角形の旧県庁前の駅舎は子供心にも思い出深く残っています。
今なおなぜ旧県庁前駅舎を壊す必要があったのか現状を見てまったく残念に思います。
講演の最後に放映された「電鉄のラストラン」の映像は私自身も小さな子供達を連れて同乗した思い出がよみがえりました。
そんな旧県庁前駅舎の思いを記念に絵葉書で偲んでみましょう。
下は昭和8年4月1日東関屋ー白根間開業、
7月28日県庁前(のちの白山前駅)-東関屋間延伸開業、
県庁前駅が開業した頃の県庁前駅舎と思われます。
当初は(11年まで)小さな平屋の駅舎だったことがよくわかります。
ホームの表札に出口とありますから、これで立派な?駅舎だったのでしょう。
我々がよく知ってる木造3階建耐火タイル張り駅舎は昭和11年3月26日に竣工します。
創業当初の駅舎ははあまり知られていないようです。駅舎はその後の駅舎と同じ場所です。後ろに昭和7年に竣工した新県庁(現市役所の場所)
「新潟 県庁並に電鉄 Niigata meisyo」
下、「新潟県庁付近」電車と右奥に平屋の初代県庁前駅。
県庁側の電柱に「コーラン食堂」の看板が見えます。電鉄の裏側にあった人気のカフェーでした。(絵葉書・昭和8~11年頃)
下、同じ時期の絵葉書、正面に平屋の駅舎、後ろに裁判所、電車の後ろの松は戦後伐採された。
下は昭和戦前の絵葉書、県庁脇を通る電車(通称電車通り)と宮浦堀、右奥に11年に竣工した県庁前駅が見える。
下は昭和戦後20年代の絵葉書、県庁前駅の前に白山堀が見える。
下、昭和8年2月25日、電鉄開業記念に発行された「新潟電鉄沿線案内」の鳥瞰図付絵封筒14.8x43cm 、大正から昭和の旅行ブームに流行した、大正の広重と云われた鳥瞰図の第一人者、吉田初三郎の弟子の金子常光の描いた電鉄沿線鳥瞰図。北海道から大阪まで描かれたスーパービューです。
「新潟電鉄沿線案内」発行所、新潟市上大川前通5番町 新潟電鉄株式会社
下、表紙
下、右側部分拡大図
下、同様のチラシ、昭和初期、13x36cm
下は同じ位置にあった物産陳列館(旧県庁の前に有った建物)とその並びに有った旧地方裁判所
左端に白山堀と白山様の太鼓橋が見える(電鉄の駅舎の向かいにあった)明治40年頃の絵葉書
下は同じ頃の電車通り、左に白山神社の太鼓橋、正面道路の大きな松の木が戦後の道路拡張まで残っていました。(最初の絵葉書の左に見える松の木です)右が明治34年に竣工した物産陳列館
下、新潟物産陳列館、明治34年6月開館、開館時に共進会と云う博覧会が大々的に開催された。上の絵葉書とほぼ同じ位置から見ている。
「一府十一県聯合共進会場之図」(部分)石販印刷、明治34年7月15日発行、発行者 福村正義
下、昭和30年頃の県庁前駅
http://hikarataro.exblog.jp/16027433/ 新潟電鉄物語―②塩の橋
新潟電鉄物語ー③ 再び塩の橋
新潟電鉄物語ー④駅舎とスクラッチタイル