6月11日、12日と
「新潟古時計物語展」のメイン会場、「ギャラリー蔵織」にて修理・鑑定相談会を設けました。沢山の方が重くて、運びにくい大きな時計を持ち込んで下さり、会場は持ち主の愛情とスタッフの熱気で大いに盛り上がりました。お祖父さんの時計をまた使ってみたいと思ってる人が多くて、今回の展覧会の趣旨である「街に生きる」時計がまた増えそうでうれしい限りです。
詳細は
ギャラリー蔵織のブログで。下、こんな古い掛け時計も持ち込まれました(機械、ドイツ、ユンハンス社製、ケース国産、明治初期)
今回のメイン会場の「蔵織」の展示の目玉の一つは
「目覚まし時計物語」と題した国産目覚まし時計の明治から戦後に至る歴史的変遷が一目でわかる展示コーナーです。これは日本一の古時計サイトである
「タムキーパー古時計どっとコム」主宰のチクタクさんのコレクションをお借りしました。すべてご自分で修理されてピカピカのコンデションです。有る意味、一番身近で活躍した時計ゆえ使い捨てられて、あまり残っていないのが現状です。日本の近代化を牽引したのはこういった大量生産された目覚まし時計であったことはもっと見直されてほしい歴史です。圧巻のコレクションをご自分の目でどうぞ確認してください。意外と若い人に受けていますよ。チクタクさんははるばる奥様と会場に駆けつけて下さったのですが、修理鑑定相談に巻きこまれて、こき使ってすみませんでした。(^^;
江戸から戦後までの日本の近代化の歴史が見えてきます。国産 古目覚まし時計物語~ 一家に一個 時計普及の立役者 ~明治維新後の西欧式システムの導入の流れのなかで、日本独自だった暦(こよみ)も見直され、時の計り方(一日の細分割)も西欧を見習いました。一日は二十四時間、それを時・分・秒に分かつ、このように明治六年(1873)から「新しい時のものさし」が使われはじめたのです。現在の私達の生活に密着している時計は、ここからはじまっています。
新しい時のものさしで時を示す機械、すなわち時計は、懐中時計のような個人所有は高嶺の花で、大勢で共有できる掛時計から普及が進みました。しかし、世帯に対する普及率は、明治十二年で二十戸に一個という具合でどこの家でも買えるものではなく、明治二十年代には名古屋、大阪、京都、東京で相次いで掛時計の国産メーカーが産声をあげたものの普及にはまだ課題が多く、安くて生活に密着した大衆時計が求められていました。
このような背景の中、ドイツ製の舶来品の目覚まし時計が国内に輸入されるようになると、東京の精工舎が目覚まし時計の国産化を決意します。大衆向けの置時計市場の発展性に注目したのです。目覚まし時計の製造は掛時計製造にはない技術が必要なため幾多の困難があったようですが、明治三十二年、または三十三年に精工舎が通称ヘソ形目覚ましと呼ばれる金属製目覚まし時計「ベビーアラーム」の国産化に成功、舶来品よりもさらに安価な国産目覚ましは、時計普及の立役者的な存在となったのです。
そんな国産の古目覚まし時計の製品を、誕生から約半世紀にわたってご紹介します。最初は機能に特化して姿もシンプルです。専用に誂えたガラス窓付きの木箱に目覚ましを入れて大切に使われたものも少なくありません。その後装飾付きや小さいサイズのもの、目覚ましの鳴り方に特徴のあるものが登場します。夜光塗料が開発されると黒色文字盤も加わってきます。昭和初期になると新興メーカーが参入してきますが、これは長続きしませんでした。軽くてカラフルなプラスチックが開発されると毎日ぜんまいを巻く目覚ましには持って来いだと喜ばれデザインの多様化が進みました。
目覚まし時計は大衆品でありながら100年近く経ったものでも手入れをすれば息を吹き返すものがほとんどです。毎日ぜんまいを巻く必要があり、チクタク・ジリリーンと音もにぎやかですが、慣れれば可愛いものです。最後に、この稚拙な物語を読んで国産古目覚ましに感心をもっていただいた方へのお願いです。これから古目覚ましに出会ったら、捨てずにぜひ大切にしてくださいね。
(タイムキーパー古時計どっとコム、チクタクさん)