3代目の話が出ましたので初代の登場です。
初代の萬代橋は県の役人をやめ、新潟日日新聞の社長をしていた内山信太郎が計画したもので、現在の橋の倍以上の日本一の長さ(782m)が有った。
水害も多く、いつ流されるか分からない橋に出資する人はなかなかいなく、苦労の末最終的に第四国立銀行の頭取、八木朋直が出資して明治19年10月に竣工した。
11月3日に竣工式を行う予定であったが雨で4日に延期になった。有料橋(一銭)でしたが当初一月は無料であった。上は当時の様子を錦絵版画に仕立てて売られた木版チラシ
「新潟萬代橋真景」 (売価一銭)明治19年11月1日御届、新潟県平民 編集兼出版人 新田見太忠太 応需 誠斎(沢井誠斉画)
橋の賑わいと川には多くの川汽船、安進丸が浮かんでいる。
新潟萬代橋真景 売価一銭 沢井誠斉画、多色摺り木版
新田見忠太は新潟の印刷屋で澤井誠斎は絵入り新潟新聞などで腕を揮った地元の絵師である。
「八千八水の称ある信濃川に一大橋梁を架設し名けて萬代橋と云ふ(但し新潟より中蒲原郡沼垂に達す)その長四百三十間幅員四間これを望めば宛然として長虹の大空に横たふが如し、蓋し明治十九年二月五日官許を得、同月廿一日工を起し同年十一月竣を告ぐ、橋に要する所の杭数五本並び四十二組、防水杭二本並び四十二組とす、而してこれらの経費を算すれば二萬有余円の巨費にして実に日本無比の大橋と云ふ」
下は竣工を伝える当時の新潟新聞記事 初代萬代橋の姿を伝える、明治30年代後期の絵葉書、萬代橋通りの右下に建ってる小屋は橋番人小屋、川端には石屋根が多く見える。