今日の話題を2題
⓵今日(6月16日)新潟日報朝刊に旧小澤家住宅で開催中の「和製ギヤマン 切子ガラスの世界展」の紹介記事か掲載されました。
これは企画展がオープンしてから早めに取材をしていただきましたが、色々な事情で今日の掲載になりました。
併催の「かえるまつり」も好評につき一週間延長して来週の水曜日24日までとなりました。
ねんど母さんのカエルや色とりどりのカエルグッズも皆様をお待ちしています。
記事にもありますように江戸期のガラスは特に個人工房の小さい窯が多く、そのため素材は金属鉛を珪砂などの硝子素材に入れて融点を下げて加工しやすいようにした鉛ガラスのため独特の質感を持っていました。中国を含めた西洋諸国はすでに丈夫で扱いやすいソーダガラスを使用していたため、根本的にガラス素材が違いました。
その為、切子(カットガラスの事)ガラスは手取りが重く独特のきらめきがあり、その上回転工具(グラインダー)などは使わない手彫り切子と呼ばれる手ヤスリで削り進めるという大変な手間のかかるガラスでした。それが世界的にも見ても大変ユニークなガラスとして評価されています。
手に取って持って見たり、触ってみたり、はじいて見たり、透かして見たりしないと切子の特徴は分かりにくいですがその片鱗は感じてもらえるでしょうか?
明治になるとガラス素材も現在と同じソーダガラスとなり、当時の灯の主流となった石油ランプがガラス工業を牽引した時代がありました。
大正昭和初期になると各種生活食器や雑器にガラスが多用され、カットガラスも多様化の時代を迎えます。
展示のハイカラな食器や道具類でその一端をご覧ください。100年前のガラスがお洒落です。
⓶今日は新潟防災の日
今日のお昼に携帯アラームが鳴って驚いたと思います。
昭和39年の新潟地震を思い起こしてもらうために毎年、行われているアラームです。
思い起こせば我が家も昭和30年の新潟大火で丸焼け、木造家屋は柱一本残りませんでした。
火元に近かったせいで、タダ逃げ惑う遠足の翌日の出来事でした。小学2年以前の記録を全焼して失いました。
ランドセルが無くなり、市から支給されたランドセルは赤いランドセルでした。
数が少ないので文句も言えませんが、男の子としては恥ずかしくて、駄々をこねて黒く染めてもらい何とか事なきを得た記憶が蘇ります。(^^;
新潟地震では一部家が傾き、半壊の認定でした。
その当時のことは以前のブログにも書きましたが、恥ずかしくも辛いものでした?
トイレは水洗前でまだ各家にトイレの神様がいた時代のことでした。
今日の日に丁度、新聞掲載がぶつかるというのも何かの因縁でしょう?
調子に乗らず、防災に気を付けなさいというアラームですね。
皆さんも気を付けましょう、無事というのは何もし無い事ではなく、何が足り無いのかを考える事ですね?
今年は夏が早く、暑そうですね。
という事で一足早く、夏向きの企画展です。
中央区上大川前通12番町の新潟市文化財 旧小澤家住宅で5月30日から「和製ギヤマン 切子ガラスの世界展」が開催されます。日本の夏を彩る、国産切子(カット)ガラスの世界を江戸後期から昭和初期までご覧ください。もう一部展示作業が進んでいますので今週から見ることが出来ます。

和製ギヤマンー切子(きりこ)ガラスの世界展 <江戸時代後期から昭和初期まで>
江戸時代から明治前期の日本製のガラスー和ガラスは、ポルトガル語でガラスを意味する「ビードロ」と総称されていました。言葉はポルトガル語ですが、鉛を多く含む中国古代製法を起源とした「びいどろ」は、遅くとも17世紀後期頃の長崎で製作が始まったと考えられています。やがて大阪や江戸などに伝わり発展しましたが、吹きガラスの薄く、小型のものが主流でした。
その後輸入されたヨーロッパ製カットガラスの影響を受けて、文化文政期には、大阪江戸でも厚みのある素地に切子(カット)を施すことが行われ、こういう作例は「和製ギヤマン」と呼ばれました。「ぎやまん」の呼称は、ポルトガル語のダイヤモンド(デイヤマント)に由来し、本来は輸入された高級なヨーロッパ製ガラスを指すものでしたが、文化文政以降は、日本製であってもグラビュール(線彫)が施されたものや、上質の和ガラスも「ぎやまん」と呼ばれました。
和製ギヤマンの切子ガラスは大きく江戸切子と薩摩切子に分けられますが、江戸切子の方が古く(1834年)、数も多いのですが、小規模の個人工房が多く、あまり大きいものや精巧なものは幕末まで造れませんでした。薩摩切子は1846年頃に始まり島津藩10代藩主島津斉彬の肝いりで藩窯「集成館」で発展して、幕末には訪れた西洋人にも驚かれるほどの日本唯一の色着せカットガラスの薩摩切子を生み出したことは有名です。しかしこれは献上品などが多く、数も少ない。薩摩切子は透明カットガラスも量産されたと言われるがその鑑別は難しい。
江戸期の和製切子は手彫り切子と呼ばれ製法が回転工具(グラインダー)などは使わず手切りヤスリや研磨剤(金剛砂)を用いて手で彫、磨き上げるという超絶に手間のかかった丁寧な造作が特徴です。手彫切子の独特の味わいときらめきをご覧ください。
明治になると工部省が明治9年(1876)東京品川に設立された「興業社」を買い上げ品川硝子製造所と称して、外国人技師を招聘して技術革新を行い、それまでの旧式の鉛ガラスから新しい今日のソーダガラスが導入され明治19年頃から「ガラス」という新奇な言葉が一般に用いられるようになって行きます。
それと共にガラス製法や材質は次第に近代化が進み、現在のガラス工業の基盤が造られました。新しいソーダカラスが普及し始める明治10年頃までを江戸ガラス(鉛ガラス)の時代として分類しています。
この度の企画展では切子と呼ばれた和製ギヤマンガラスを取り上げ、江戸時代の粋(鉛ガラスの時代)、明治大正のハイカラ時代(ソーダガラス、ガラス産業を牽引した石油ランプや食器)、昭和戦前(昭和モダンガラスの時代ーコップや鉢、時計、照明器具など)、時代と共に移り変わる和製ギヤマンの世界をご覧ください。
江戸後期~明治の江戸・東京のガラス問屋の引札(カタログ)や大正~昭和初期の県内のカラスメーカーのカタログなど珍しい貴重な資料も展示されています。
下、江戸後期から明治初期の和製ギヤマンーカットガラスの食器


下、明治のガラス産業を牽引したハイカラな石油ランプ、カットガラスで加飾されたものを中心に

下、昭和モダンコーナー、日本のアールデコなコップや鉢、時計や照明器具が並びます


下、江戸末期のギヤマン問屋、加賀屋久兵衛と大隅源助の引札(カタログ)、江戸後期の品ぞろえが興味深い

下、恒例の「かえるまつり」も併催です!魅力的な可愛い「ねんど母さん」などのカエルグッズも満開です、賑やかな声が聞こえてきま~す!





バタバタしているうちに季節は春へと一気に加速です。
新大歯学部前のソメイヨシノも数日前に開花していました。
新潟ももう開花宣言ですね!
下、昨日(4月2日)の夕方です、週末には満開か。
今年も新潟に春を呼ぶ「湊にいがた雛人形町めぐり」も終盤を迎えました。
昨年末より準備とフライヤー作りに苦心してきましたが、今年で22年目、いつも皆さんのご協力のおかげで今年も何とか無事に開催出来て、好評のうちに終われそうです。
参加施設は勿論、色々と支えて下さったスタッフやボランティアの皆さんには感謝しかありません。
ありがとうございました、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
変わらぬ日々を季節で確認することが節句の大切なところです、戦争が始まり平穏な日々の難しさを痛感しますが1日を大切にしましょう。
ギャラリー蔵織の展示は4月5日、日曜日までですので、名残を楽しんでください。
下、新潟日報、3月1日付朝刊記事、
今年は事務局のギャラリー蔵織を取材してもらいました。
対応は蔵織の佐藤学芸員にお願い致しました。
もうすっかり慣れたもので、誰よりも上手く解説してもらえます。
下、今年のギャラリー蔵織の展示風景
下、入口の部屋には旧家「田代家の段雛(大正)」と新潟情緒人形(昭和初期)のケース
下、ねんど母さんの猫踊りと新潟の菓子型

下、頭の上を見逃してしまいそうですが、長押に挿した「押絵雛」も壮観です。
下、恒例の全国、越後の郷土雛、土人形群団です。毎年多くの人に喜んでもらう人気者たちです。
ねんど母さんの見事なレイアウトです、感謝!
そしてこちらも、ねんど母さんがしつらえた「ギャラリーショップ」、今年もねんど母さんの売り上げはよかったみたい?さすが!
下、今年の旧小澤家住宅の「雛人形とからくり人形展」
紅白の梅がとても綺麗
下、途中から新発見の新潟芸妓の屏風が飾られた、落款名は「正脩」、まだよくわからない謎の絵師?
戦前の作品と思われる。解明が待たれる。
下、旧齋藤家別邸の雛人形展、今年はこちらで展示されている、新潟名妓「庄内屋しん」遺愛の雛人形をチラシやポスターに使わせてもらいました。
大変お世話様でした。左の雛段がそれにあたります。
下、白山公園内の「燕喜館」には旧齋藤家で使われていた大正期の雛段が飾られていました。
下、今回の雛人形展に合わせて燕喜館では元の旧宅であった旧齋藤家の歴史文化を紹介する、企画展「燕喜館の歩みと展示会」の企画展が開催されました。
下、新潟日報、2月26日付朝刊記事、
下、それに合わせて新潟ハイカラ文庫からも明治初期に清酒問屋三国屋として斎藤家が関わった北海道へ輸出された沼垂焼酎徳利の歴史遺産を参考展示いたしました。
下、またこの機会に「白山公園界隈の明治大正昭和」と題して歴史ある白山公園界隈のエハガキを額装して100枚ほど展示いたしました。
この地域は新潟の背骨にあたる様な歴史的景観が残された貴重な場所でもあります。
明治30年代から昭和戦前戦後までを絵葉書写真として俯瞰できます。
その他明治34年の初めての本格的な博覧会であった「一府十一県聯合共進会」の当時の錦絵や
幻の昭和13年の「日本海大博覧合」のポスターなどの資料も展示されました。
下、燕喜館の企画展は終了しましたが、この絵葉書資料は現在「にいがた映像ギャラリー・座タイム」のカフェにて移動展示いたしましたのでご覧になれます。
座タイムカフェは古町6番町の裏通りの版画通ㇼのコットンハウス39の二階にありますのでお出かけください。
このにいがた映像ギャラリー座タイムのカフェは今後ギャラリー喫茶として個展などにも活用できるそうです。大いに利用しましょう。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
正月は寒波に見舞われましたが長続きせず、雪も大したことはありませんでした。
時折、冬らしくない穏やかな晴天日もあり、今の所はまずまずの正月でした。
正月明けから、旧小澤家住宅で「ねこまつり」のお手伝いで、招き猫軍団を横木さんのご協力も得て参加しています。
福助と並んで招き猫は純粋種の日本の福の神=ラッキーゴッド!です。
古い招き猫は欲もそこそこで近親感がわきます。(あまり欲張りすぎてもいけません・・・?)
また、古い猫はそれぞれの産地の歴史を背負って猫背も個性的で魅力があります・・・ご利益も相応にあります。(きっぱり)
18日(日)までですので寒いですが、足元に気を付けてお出かけください、招き猫が待ってます!
早速日報さんにも載せてもらい、今年も春から・・・縁起がいいわいなぁ~!?♪(猫のおかげ?)
下、新潟日報 1月5日付
中央区上大川前通12番町「旧小澤家住宅」で18日(日)までです。
ねんど母さんのネコもたくさん参加してます。色んなたくさんのネコがいます。但し生ネコはいません・・・。
下、旧小澤家住宅の受付の金庫の上に鎮座しているクロネコは木製です!やきものがほとんどの招き猫には珍しい珍種です。触って叩いて見て下さい、にゃっとくです。
下、ねんど母さんコーナーの壮観さ!
下、ねんど母さんの手製のスチロール猫
下、初参加の新種、眠りネコ、沼垂テラスのMさんの作品、小さいけど魅力的、見つけて下さい。
下、正月寒波の様子です、枯れ木に咲く雪の華はほんの一刻です。でも風情がありますよね、桜も待ち遠しい。


新潟マッチ歩き展が無事終わりました、大勢の方に興味を持って見て頂きありがとうございました。
マスコミにも日報をはじめラジオテレビにも取材して頂き、励みになりました。
また機会があれば続編を考えていきたいと思います。
以下、解説文に記述した内容です。
新潟県は人材資源や木材資源にも恵まれ、古くは全国的に見てもマッチの生産県でした。
色んな歴史的背景や人物、会社の活躍が見えて郷土史としても見逃せないものがありました。
以下をご参考に。
新潟の歴史資料として少しずつ集めてきた戦前から戦後までの新潟のマッチラベルや包装紙が皆さんの協力で集まってきましたので、マッチ箱の賑わいと共に古町界隈の老舗100年史という事で新たな賑わいを感じてもらうべく企画しました。昭和100年という事もあり、題して「2025年マッチ箱で見る古町老舗100年史・新潟マッチ<街>歩き展」です。いろんな思いで見てもらえる展覧会ですのでインフルエンザに気を付けて古町街歩きにお出かけください。
「新潟マッチ歩き展」
マッチはそれまでの火打石(火打ち金)、付け木などの着火器具に替わって現れ、擦り付け木と呼ばれた文明開化の着火用具でした。
マッチは明治初期に日本に入り、瞬く間に全国に広がっていった。
新潟県は材料や人材に恵まれ、家内工業向きのマッチ製造業は長岡や新潟で発展し一大生産県となりました。
小島燐寸(長岡)後の東亜燐寸、明治10年頃~
川崎勢盛社(新潟)明治26年~
明治32年には新潟県には22のマッチ工場があったという。
川崎勢盛社は昭和戦中に、東亜燐寸は戦後の変革の中で1996年に生産が終わりました。
下、小島マッチのラベル(明治10年代)
越の郡越後 長岡 とある

下、川崎勢盛社の広告、大正初期
楠公印、地球一、ダイヤモンドのブランド

現在は唯一、雪印マッチ(新潟市)のブランドが存在しています。
生活を支えてきたマッチも戦後登場した100円ライター(1970年代後半)や自動着火装置に押されて衰退しました。マッチの最盛期は1970年代初頭ころです。商売をしている企業や商店はこぞってマッチを作り顧客に配り、そのデザインで宣伝効果を発揮していました。
それぞれの人生の中で皆さんの思い出のマッチがきっとあると思います。
賑やかなマッチの存在は、街の顔でもありました。古町ローサを含めて中心街の活性化を考えるきっかけにもしてもらえると幸いです。
マッチ前史としてそれまでの着火用具の「火打石、火打金、付け木」を一緒に、にいがた映像ギャラリー・座タイムの会場に展示しました。もう忘れ去られた文化ですが往時の遺産をご覧ください。
下、火打石、火打ち金+付け木の展示コーナーです。
戦前戦後位まで地方によってはまだこういった着火用具が使われていました。

〇 用途
① 火をおこすー竈、炬燵、行燈などに火を付けるために使われた。
② 切り火ー外に出かける際に火花を飛ばして厄除けとする「切り火」の風習もありました。
〇 使い方
火打石と火打ち金を打ち合わせることによって火花を発生させそれを火口(ほくち)に落として着火させ火種としました。
〇 付け木
付け木は杉や桧の薄片の端(木端)に、着火しやすい硫黄を塗付けたもので、火を他のものに移す際に用いられた。火打石などは明治時代にマッチが国産化され普及するに従い次第に使用されなくなったが、台所には火を起こす必須の着火用具として活躍しました。火打金は鋼製で火打石は石英、メノウなど。
火打ち箱に火打ち石、火打ち金、火口、付け木が入っています。
